諏訪南通り
17年目の日曜日の小径
諏訪小学校グラウンド
冷凍ポカリとそぼろ弁当
諏訪小学校グラウンド
諏訪小脇の道
極私的東京百景認定031
京王永山(前編)
.
第三十三回 17年目の日曜日

GWの終盤、たまには人ごみを避けて、ブラっと東京の郊外、京王永山あたりへ出かけてみようと思った。笹塚で乗り換えて40分ほどで多摩川を超える京王相模原線は、橋本を終点にした電車。調布から先は車窓の景色や駅のホームの雰囲気までガラっと様変わりする。京王永山は、多摩ニュータウンの一つで、小学生の頃、南諏訪にある小学校にサッカーの試合をしに何度も来たことがあった。

2時頃に到着。・・・17年振りだ。駅前がどのくらい変わったのかまでは判らないが、南諏訪小までの道は断片的に覚えていたので、当時の道のりと寸分違わず、とはゆかないまでも、例の如く「記憶を頼りに」歩いてみることにした。
ただその前に僕はコンビニを見つけることから始めた。というのも、当時、練習試合をしに出かけた南諏訪小のグラウンド奥には、鬱蒼と茂った木々に囲まれたちょっとした小高い山があって、その
「定位置」で昼食を摂るのが常だったのだ。冷凍したポカリスウェット、そぼろ弁当。つまり、このお気に入りランチを再現しようと思ったのだ。立ち寄ったコンビニに運よく「そぼろ弁当」があったので購入し、手持ちの1993年発行の昭文社「ミニミニマップ」を開きながら歩いた。

僕の原風景は幡ヶ谷の路地裏や石畳の道だったが、多摩のような郊外にも比較的原風景的な場所があったせいか、こういう団地と緑だらけの場所にも不思議と懐かしさを感じる。30分ほど歩いて見覚えのある道に来ることができた。諏訪南通りに出た。17年前の日曜日の道が一気に頭の中を駆け巡る。

「多摩市立諏訪小学校」とある。目の前にあるグラウンドは間違いなく南諏訪小のグラウンド。とにかく様子を伺ってみた。しかし、こんな郊外だというのに、アーバンコートと化した校庭とは。しかも、
あの小山は平らに削られてしまっていた。小山の方は仕方ないとして、校庭の様変わりの方が意外とショックだった。例の池田小事件のこともあるし、世相を考えると、大の大人が校内に入るわけにもいかないので、僕は学校脇の、車が入ってこない広い道でそぼろ弁当を食って後にした。それにしても、「南」ではなかったのが気になった僕は、帰宅後、風呂に入りながら今日持ち歩いたそれとは異なる1995年発行の東京人文社「広域道路地図」を広げていた。すると、南諏訪小学校だった場所は諏訪小学校と記載されていた。今日持ち歩いたマップが1993年発行なので、この地図とは2年の隔たりがある。一体、この間に何があったのだろう? 気になった僕は明日もう一度出かけてみることにした。
諏訪第3公園にて
目印
諏訪北公園にて
諏訪南通り