お品書き
第一回『浅草』篇
第二回『聖蹟桜ヶ丘』篇
第三回『和田堀公園』篇
第四回『権田原』篇
第五回『参宮橋』篇
第六回『桜上水』篇
第七回『大蔵』篇
第八回『門前仲町』篇
第九回『西原』篇
第十回『お台場』篇
第十一回『高尾山』篇
第十二回『分倍河原(前編)』篇
第十三回『分倍河原(後編)』篇
第十四回『渋谷区本町』篇
第十五回『初台』篇
第十六回『善福寺川緑地』篇
第十七回『九品仏』篇
第十八回『等々力渓谷』篇
第十九回『笹塚』篇
第二十回『幡ヶ谷』篇
第二十一回『代々木』篇
第二十二回『谷中』篇
第二十三回『巣鴨』篇
第二十四回『雑司ヶ谷』篇
第二十五回『明治神宮外苑』篇
第二十六回『光が丘公園』篇
第二十七回『立会川(品川区)』篇
第二十八回『高井戸・浜田山』篇
第二十九回『日野』篇
第三十回『日野橋(前編)』篇
第三十一回『日野橋(後編)』篇
第三十二回『夢の島マリーナ』篇
第三十四回『京王永山(後編)』篇
第三十五回『根津』篇
第三十六回『石神井公園』篇
第三十七回『表参道(同潤会アパート)』篇
第三十八回『京王多摩センター』篇
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第三十三回 17年目の日曜日
GWの終盤、たまには人ごみを避けて、ブラっと東京の郊外、京王永山あたりへ出かけてみようと思った。笹塚で乗り換えて40分ほどで多摩川を超える京王相模原線は、橋本を終点にした電車。調布から先は車窓の景色や駅のホームの雰囲気までガラっと様変わりする。京王永山は、多摩ニュータウンの一つで、小学生の頃、南諏訪にある小学校にサッカーの試合をしに何度も来たことがあった。
2時頃に到着。・・・17年振りだ。駅前がどのくらい変わったのかまでは判らないが、南諏訪小までの道は断片的に覚えていたので、当時の道のりと寸分違わず、とはゆかないまでも、例の如く「記憶を頼りに」歩いてみることにした。
ただその前に僕はコンビニを見つけることから始めた。というのも、当時、練習試合をしに出かけた南諏訪小のグラウンド奥には、鬱蒼と茂った木々に囲まれたちょっとした小高い山があって、その
「定位置」
で昼食を摂るのが常だったのだ。冷凍したポカリスウェット、そぼろ弁当。つまり、この
お気に入りランチ
を再現しようと思ったのだ。立ち寄ったコンビニに運よく「そぼろ弁当」があったので購入し、手持ちの1993年発行の昭文社「ミニミニマップ」を開きながら歩いた。
僕の原風景は幡ヶ谷の路地裏や石畳の道だったが、多摩のような
郊外にも比較的原風景的な場所があった
せいか、こういう団地と緑だらけの場所にも不思議と懐かしさを感じる。30分ほど歩いて見覚えのある道に来ることができた。諏訪南通りに出た。17年前の日曜日の道が一気に頭の中を駆け巡る。
「多摩市立諏訪小学校」とある。目の前にあるグラウンドは間違いなく南諏訪小のグラウンド。とにかく様子を伺ってみた。しかし、こんな郊外だというのに、アーバンコートと化した校庭とは。しかも、
あの小山は
平らに削られてしまっていた。小山の方は仕方ないとして、校庭の様変わりの方が意外とショックだった。例の池田小事件のこともあるし、世相を考えると、大の大人が校内に入るわけにもいかないので、僕は学校脇の、車が入ってこない広い道でそぼろ弁当を食って後にした。それにしても、「南」ではなかったのが気になった僕は、帰宅後、風呂に入りながら今日持ち歩いたそれとは異なる1995年発行の東京人文社「広域道路地図」を広げていた。すると、南諏訪小学校だった場所は諏訪小学校と記載されていた。今日持ち歩いたマップが1993年発行なので、この地図とは2年の隔たりがある。一体、この間に何があったのだろう? 気になった僕は明日もう一度出かけてみることにした。